びゅうハイヤー金沢観光タクシー

金沢観光情報

加賀藩歴代藩主 金沢ゆかりの文学 体験型金沢観光 金沢寺社めぐり 加賀野菜
兼六園と金沢城 金沢ことば 金沢ふるさと偉人 芭蕉と城下町金沢 金沢食文化
「兼六園霞が池」 びゅうハイヤー金沢観光タクシー撮影

金沢観光情報 旬の旅

国内外から年間多くの観光客が訪れる観光都市金沢市
2009年高山市、彦根市、亀山市、萩市と共に歴史都市に文化庁から認定され、さらに多方面から注目を浴びています。
びゅうハイヤー金沢は、金沢を訪れる観光客の皆様に、加賀百万石城下町金沢の歴史、文化から、伝統工芸、加賀野菜、食文化に到るまでを分かりやすくご紹介致します。

加賀藩歴代藩主 金沢城歴代藩主とその功績
金沢ゆかりの文学 三文豪と金沢ゆかりの文人
体験型金沢観光 加賀友禅着付け体験、金沢21世美術館
金沢寺社めぐり 金沢寺院群、建物内部を拝観出来る寺
加賀野菜 加賀野菜産地と金沢の料理法
兼六園と金沢城 兼六園の変遷、百万石の金沢城炎上
金沢ことば 城下町金沢に息づく方言
金沢ふるさと偉人 金沢ゆかりのふるさと偉人17人
芭蕉と城下町金沢 松尾芭蕉「おくのほそ道」での金沢
金沢食文化 金沢独自の気品ある食文化

加賀藩歴代藩主

加賀藩前田家織田家、豊臣家、徳川家に仕え、江戸時代、加賀百万石の大名として君臨しました。
又、徳川家と同じく御三家を持っています。富山藩(富山県富山市)、大聖寺藩(石川県加賀市)、七日市藩(群馬県富岡市)は、前田家の支藩です。

初代前田利家が初めて金沢城に入場した天正11年(1583年)から、14代前田慶寧が明治2年(1869年)藩庁を長成連邸に移し、私邸を本多資松の居屋敷に移すまで、286年間金沢城を居城として来ました。

加賀藩前田家は、武力では徳川幕府には及びませんでしたが、伝統工芸、伝統芸能、造園技術等、文化面では徳川幕府にも勝る政策を執りました。

近年フランスのミシュランガイド日本版三ツ星を獲得した特別名称兼六園を始め、城下町金沢が多くの国内外の観光客の注目をあびているのも、先人から受け継がれた功績によるものと思われます。

金沢城歴代藩主

金沢城初代藩主 前田利家(高徳院) (芳春院) 篠原主計娘
金沢城二代藩主 前田利長(瑞龍院) 永姫(玉泉院) 織田信長娘四女
金沢城三代藩主 前田利常(微妙院) 珠姫(天徳院) 二代将軍徳川秀忠娘
金沢城四代藩主 前田光高(陽光院) 大姫(清泰院) 水戸藩主徳川頼房娘
金沢城五代藩主 前田綱紀(松雲院) 摩須姫(松嶺院) 会津藩主保科正之娘
金沢城六代藩主 前田吉徳(護国院) 松姫(光現院) 尾張藩主徳川綱誠娘
金沢城七代藩主 前田宗辰(大応院) 常子(梅園院) 保科正容娘
金沢城八代藩主 前田重煕(謙徳院)  
金沢城九代藩主 前田重靖(天珠院)  
金沢城十代藩主 前田重教(泰雲院) 千間姫(寿光院) 紀伊藩主徳川宗将娘
金沢城十一代藩主 前田治脩(大梁院) (法梁院) 大聖寺藩主前田利道娘
金沢城十二代藩主 前田斉広(金龍院) 凪姫(真龍院) 鷹司政煕娘(継室)
金沢城十三代藩主 前田斉泰(温敬公) 溶姫(景徳院) 十一代将軍徳川家斉娘
金沢城十四代藩主 前田慶寧(恭敏公) 崇姫(霊鑑院) 久留米藩主有馬頼徳娘


金沢城 金沢城
「金沢城公園」 びゅうハイヤー金沢観光タクシー撮影 

金沢ゆかりの文学

金沢の街は金沢生まれの三文豪、泉鏡花徳田秋声室生犀星の恩恵に与って きました。

鏡花の代表的な小説「義血侠血(滝の白糸)」は、金沢の浅野川が舞台であり、「照葉狂言」「由縁の女」など、金沢が舞台になった作品が多くあります。
秋声も自伝小説「光を追うて」に、金沢での体験を描いた街の踊り場、挿話、等があります。
犀星の代表的詩集「抒情小曲集」の多くは、金沢にてうたったもので、「幼年時代」「性に眼覚める頃」の小説も金沢が舞台となっています。

森の都金沢は、文学者が多く育ち、金沢ゆかりの文学者が多く芥川賞直木賞を受賞しています。

金沢ゆかりの芥川賞作家

受賞年度 作家名 受賞作品 金沢との縁
1940年 桜田常久 平賀源内 四高(旧制第四高等学校)卒
1949年 井上 靖 闘牛 四高卒
1951年 堀田善衛 広場の孤独 旧金沢二中(旧金沢第二中学校)
1970年 古井由吉 杳子 金沢大学ドイツ語教官

金沢ゆかりの直木賞作家

受賞年度 作家名 受賞作品 金沢との縁
1938年 橘外 男 ナリン殿下への回思 金沢市生まれ
1950年 山田克郎 海の廃園 金沢二中
1962年 杉森久英 天才と狂人の間 四高卒
1966年 五木寛之 蒼ざめた馬を見よ 夫人の故郷金沢に4年住む
1974年 半村 良 雨やどり 産霊山秘録泉鏡花文学賞
1982年 村松友視 時代屋の女房 鎌倉のおばさん泉鏡花文学賞
1983年 高橋 治 秘伝 四高卒
1999年 桐野夏生 柔らかな頬 金沢市生まれ
2001年 唯川 恵 肩ごしの恋人 金沢市生まれ


金沢ゆかりの文学 金沢ゆかりの文学
左「浅の川泉鏡花滝の白糸像」、右「馬場小学校文学の故郷碑」 びゅうハイヤー金沢観光タクシー撮影 

 三文豪オフィシャルサイトへのリンク 
泉鏡花記念館 室生犀星記念館 徳田秋声記念館
  

体験型金沢観光

女性なら誰もが一度は身につけてみたいと憧れる加賀友禅。金沢市では観光客の皆様のそんな夢を手軽に実現出来る「加賀友禅着付け体験」をご用意しております。
自分のお気に入りの着物を決め、城下町金沢の兼六園武家屋敷ひがし茶屋街等、お気に入りのスポットを優雅に散策する事も出来ます。

又、伝統工芸の町金沢では、見て、触れて、金箔九谷焼の絵付け体験も出来ます。旅の思い出に自分だけの一品を作り、お土産として、自分用として、楽しむ事が出来るのも金沢ならではです。

お子様と一緒のファミリー向けには、和菓子作り体験も人気です。自分達で作った和菓子を頂きながら頂くお抹茶は、旅のよき思い出になる事でしょう。

最後に、金沢を観光に訪れたら外せないのが、国内外からも注目の金沢21世紀美術館です。他にはない体験型美術館は、訪れる人を退屈させません。
常に市民参加の新しい企画もしており、何度訪れても楽しめます。

体験型金沢観光/加賀友禅 体験型金沢観光/加賀友禅
左「兼六園霞が池前」、右「浅の川梅の橋にて」 びゅうハイヤー金沢観光タクシー撮影 

金沢寺社めぐり

金沢を訪れる観光客に一番人気があるお寺が妙立寺(忍者寺)です。確かに 、忍者寺は360年前の建造物で、他には無いからくり寺で、魅力のある観光名所です。

しかし、金沢には他にも興味深い寺社が数多くあります。
ひがし茶屋街の裏に 宇多須神社と言う前田利家公の神霊を祀っていた藩社があります。境内奥手には五代綱紀公の病気を平癒したとする酒湯の井戸があり、その裏を抜けて道に出ると其処は迷宮の世界です。
戦災に遭わない建物や迷路が色濃く残っており、 人と人が交差するのが無理なくらい細く、歩いてしか廻る事が出来ない小路に、多く出くわします。

大草鞋が架かっている能楽ゆかりの全性寺、加賀友禅の祖、宮崎友禅斉の墓がある赤い鳥居の龍国寺、歌舞伎の初代中村歌右衛門の墓がある鬼子母神の真成寺等、風情のある卯辰山寺院群は、是非訪れて頂きたい処です。

金沢寺社めぐり 金沢寺社めぐり
左「能楽ゆかりの赤門寺・全性寺」、右「宮崎友禅斎ゆかりの赤い鳥居の龍国寺」 びゅうハイヤー金沢観光タクシー撮影 

加賀野菜

食の安全が叫ばれる今日、金沢では地元の農家が大切に守り育ててきた「加賀野菜」15品目があります。
昭和20年以前から栽培され、現在も主として金沢で栽培されている野菜が「加賀野菜」15品目として認定されています。

金沢では「地産地消」を目指し、地元で生産された新鮮な野菜を地元で消費する事に力を入れています。野菜の食し方として一番の贅沢ではないでしょうか。

又、加賀野菜を育んできたもう一つの理由に、石川県が古くからの真宗王国であった事も考えられます。親鸞聖人に報恩する報恩講が県内各地で開かれる時、報恩講料理にも、れんこんの煮しめ等、加賀野菜は欠かせません。

古くからの伝統野菜を守りながら、近年はさらに多くの人に食してもらう為、 様々な企画や工夫がされています。
ビールメーカーのコマーシャルに使われて大ブレークした加賀太きゅうり、鹿児島の酒造メーカーと共同開発の五郎島金時焼酎金時草等を使って地元の小学生自らが献立した学校給食等、多方面にわたっています。
地元の消費拡大は勿論、金沢を訪れる多くの観光客に加賀野菜の魅力をアピールし、お土産品の開発も盛んです。

加賀野菜

金沢市指定加賀野菜15品目

品種 生産地区 品種 生産地区
五郎島金時 金沢市五郎島地区 金時草 金沢市花薗地区
加賀れんこん 金沢市小坂地区 加賀つるまめ 金沢市花薗地区
せり 金沢市諸江地区 源助だいこん 金沢市安原地区
加賀太きゅうり 金沢市打木地区 金沢一本太ねぎ 金沢市富樫地区
たけのこ 金沢市内川地区 ヘタ紫なす 金沢市崎浦地区
金沢春菊 金沢市三馬地区 二塚からしな 金沢市二塚地区
赤ずいき 金沢市泉地区 くわい 金沢市御所地区
打木赤皮甘栗かぼちゃ 金沢市打木地区    

兼六園と金沢城

兼六園の変遷


兼六園は、加賀藩前田家の歴代藩主の庭園です。水戸・偕楽園、岡山・後楽園とともに日本三名園の一つです。
五代前田綱紀が別荘蓮池御殿を造り、幾つかの茶室、四阿を建て、その周辺に庭を造り、「蓮池庭」と名づけました。
十一代藩主治脩が翠滝、夕顔亭を造り、十二代藩主斉広が隠居所竹沢御殿に曲水を引き、雁行橋をかけ、築山・七福神山を築き、十三代斉泰は霞ヶ池を造り、雪吊りで有名な名木、唐崎松を植え旧蓮池庭と調和させ、廻遊林泉式庭園の基本的構図が出来ました。

加賀藩前田家は、優れた造園技術を持っていました。平安時代の日本最古の作庭書「作庭記」と、室町時代の作庭書「山水並野形図」を併せ持ち、これらの本を参考に、優れた庭園を造園したと思われます。

兼六園は幾度か名前の変遷があります。
五代綱紀の時代は蓮池庭十二代斉広の時代は江戸幕府に寛政の改革を行った松平定信が命名した兼六園、明治四年は与楽園、明治七年に兼六公園、大正十一年は金沢公園、大正十三年から兼六園に戻り、現在の特別名勝兼六園に到っています。

兼六園と金沢城 兼六園と金沢城
左「兼六園桜の花見橋」、右「兼六園・唐崎の松」 びゅうハイヤー金沢観光タクシー撮影 

 兼六園・金沢城オフィシャルサイトへのリンク 
金沢城と兼六園 兼六園 金沢城公園
  

金沢ことば

観光で金沢を訪れたら、是非訪れて頂きたいのが近江町市場です。 初めての金沢観光には、特にお勧めしたい処でもあります。

圧倒されそうな多くの新鮮な魚や青果等食材が並んでいるのはもちろんですが、威勢の良い掛け声が飛び交い、地元の人の金沢なまりのことばを聞く事が出来ます。

金沢観光の旅人が不思議に思い、よく質問される言葉があります。
近江町市場では、鮮魚店、青果店から、 じわもんやぞ、じわもんやぞ、との声が飛び交います。

「じわもん」って なんですか?
「じわもん」とは、地物産と言う意味です。


「近江町市場」 びゅうハイヤー金沢観光タクシー撮影

金沢近江町市場で聞かれる金沢ことば

あんやと
(ありがとう)
おあんさん
(旦那さん)
おゆるっしゅ
(よろしく)
きときと
(新鮮で)
こけ
(きのこ)
こっちきまっし
(こちらへ来て下さい)
じゃまない
(大丈夫)
せわしない
(忙しい)
そくさい
(元気)
ばら
(大変)
まいどさん
(こんにちは)
むたむた
(散らかった様子)

食べ物、味わいの金沢ことば

いものこ
(里芋)
おくもじ
(漬け菜)
おつけ
(みそ汁)
おぼくさん
(仏前に供えるご飯)
かきやま
(かきもち)
くどい
(塩辛い)
こうばこ
(雌ズワイガニ)
ごんぼ
(ごぼう)
しょむない
(味がうすい)
すい
(酸っぱい)
はべん
(かまぼこ)
ひろず
(がんもどき)
ぼぶら
(かぼちゃ)
なすび
(なす)
   

難しい金沢ことば

あぐるしい
(窮屈な)
あしめる
(当てにする)
あせくるしい
(あわただしい)
いきり
(湯気)
いごぐりわるい
(意地の悪い)
いけ
(井戸)
いもくし
(あばだ)
うたてな
(困った)
うまさぶるし
(塩辛い)
おえ
(茶の間)
おどつけない
(むごい)
およがな
(夕食)
おわんじん
(秘密)
かいど
(前の道)
がせろう
( ふざける)
がっさいな
(粗雑な)
かんしょ
(便所)
きざえる
(ふざける)
ごいされ
(ご免なさい)
こーと
(質素)
こびり
(間食)
しかんな
(立派な)
したるい
(冷たい)
すま
(隅)
せだいて
(急いで)
たぼさ
(人形)
たーぼ
(お嬢さん)
だいさんな
(身の程知らずな)
ついぼ
(杖)
どんまい
(じょうずだ)
にぐりや
(居酒屋)
にっちもさっちも
(身動きが取れない)
ねんねば
(ねまき)
ひっついさん
(かまど)
ひんがい
(キャンセル)
びぶら
(熊の手)
またじ
(始末)
みたま
(黒豆入りのおこわ)
むたむた
(雑然)
やくせん
(ダメだ)
やっかん
(あきっぽい人)
よすけむく
(反対の方を向く)
らくまつ
(いい加減な人)
りくつな
(たくみな)
わやく
(冗談)
わらびしい
(子供っぽい)
   

金沢ふるさと偉人

金沢市立ふるさと偉人舘には、明治維新から、天文学、仏教哲学、国文学、医学、物理学、植物遺伝学など、世界に活躍した金沢ゆかりのふるさと偉人17人が紹介されています。
加賀百万石の城下町金沢の歴史、文化は、これらの先人達にうけつがれ、日本、世界に誇る偉業を成し遂げました。

● 木村栄 1870〜1943

緯度の変化Z項を発見した世界的な天文学者は金沢市泉野町で生まれました。第四高等中学校を卒業し、東京帝国大学理学部星学科を卒業。岩手県水沢緯度観測所、初代所長。「北極軌道の解析」の研究を続けた。第一回文化勲章を受賞。

● 鈴木大拙(貞太郎) 1870〜1966

金沢市本多町で生まれた仏教哲学者。第四高等中学校出身。東京専門学校(早稲田大学)から東京帝国大学卒業。鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演に師事、釈宗演に大拙居士の号。釈宗演の紹介でアメリカ、イリノイ州のオープンコート社の編集員。初めて本を書いた「新宗教論」、英訳した中国の「大乗起信論」、英文で出版した「大乗仏教概論」、北鎌倉、東慶寺に松ケ岡文庫藤岡作太郎西田幾多郎とともに加賀の三太郎と呼ばれる。

● 藤岡作太郎 1870〜1910

金沢市幸町で生まれた国文学者。第四高等中学校卒業。東京帝国大学国文科卒業。号は東甫、李下亭、枇杷園。著書は平出鏗次郎と共著で「日本風俗史」(歴史、風俗文学)研究。神社仏閣の絵画彫刻を訪ね記した、「近代絵画史」、文学博士の学位取得論文となった「国文学全史平安朝篇」、加賀前田家の依頼で書いた伝記「松雲公小伝」。石川県立図書館に李下亭文庫

● 三宅雪嶺(雄二郎) 1860〜1945

金沢市新竪町で生まれた評論家。東京大学哲学科卒業。志賀重昂らと作った政教社から雑誌「日本人」「日本及び日本人」「真善美日本人」「偽悪醜日本人」 「百年後の日本」「哲学涓滴」。随筆「自分の寄宿生活」

● 高峰譲吉 1854〜1922

富山県高岡市生まれた。翌年父、加賀藩御用医師高峰元ろくの仕事の関係で金沢に移る。タカジアスターゼ、アドレナリンの発明者

● 八田興一 1886〜1942

金沢市今町に生まれた。第四高等学校卒業。東京帝国大学土木課卒業。台湾南部の嘉南平原に大規模な灌漑施設を建設し平原を穀倉地帯に改良した。 給排水路の長さは16,000km、台湾の13周分、台湾の人からは嘉南大しゅうの父と 尊敬され、今も慕われている。

● 谷口吉郎 1904〜1979

金沢市片町に生まれる。東京帝国大学工学部卒業。建築家。谷口が設計した主な建造物は、藤村記念堂、東宮御所迎賓館和風舘、帝国劇場。設計した文学碑は、徳田秋声文学碑(日本最古の文学碑)、室生犀星文学碑

● 中西伍堂 1895〜1984

金沢市長町に生まれる。日本野鳥の会初代会長。第一回探鳥会は富士山の麓。 伍堂の歌集「唱名」、第一詩集は「東京市」。ペンネームは中西赤吉。

● 西田幾多郎 1870〜1945

第四高等中学校出身。哲学者、文学博士。東京帝大文科大学哲学選科出身。学習院大学教授、京都帝大教授。著書「善の研究」

● 桜井錠二 1858〜1939

金沢市東山に生まれる。日本最初の理学博士日本学士院院長

● 藤井建次郎 1866〜1952

金沢市出羽町に生まれる。第四高等中学校卒業。東京帝大植物学科卒業。 世界的植物学専門誌「キトロギア」主宰

● 飯森里安 1885〜1982

金沢市に生まれる。第四高等学校卒業。東京大学化学科卒業。アイソトープを同位元素と邦訳。石川県柴垣海岸放射性鉱物長手石を発見

● 山本良吉 1871〜1982

金沢市に生まれる。東京帝国大学文科哲学科選科終了。学習院で修身を教える武蔵野高等学校校長

● 安宅弥吉 1873〜1949

金沢市金石に生まれる。東京高等商業学校卒業。大阪商工会議所会頭鈴木大拙スポンサー。

● 細野燕台 1872〜1961

金沢市材木町に生まれる。学校の同窓に徳田秋声、泉鏡花、小倉正恒。 北大路魯山人を食客としてもてなす。

● 北方心泉 1850〜1905

金沢市小将町に生まれる。常福寺住職、書家東本願寺の外国布教事務承事、上海別院に派遣される。

● 井上友一 1871〜1919

金沢市に生まれる。東京府知事、明治神宮造営局長

金沢ふるさと偉人舘 金沢ふるさと偉人
左「金沢ふるさと偉人館」、右「高峰譲吉博士像」 びゅうハイヤー金沢観光タクシー撮影 

芭蕉と城下町金沢

松尾芭蕉は元禄2年、46歳の時、弟子の河合曽良を同行し、江戸を起点に東北から北陸を巡り、岐阜の大垣まで140日余りを費やし徒歩で旅しました。これが「おくのほそ道」です。

金沢入りは(新暦)8月29日、京屋吉兵衛宅(浅の川小橋近く)に1日、宮竹屋喜左衛門宅(片町)に8日間宿泊しました。
加賀滞在22日の内10日間滞在した金沢には、芭蕉の句碑が多く有ります。 蕉門十哲の一人、立花北枝の源意庵(下新町)の席上で、芭蕉は「あかあかと日は難面もあきの風」の句を初めて披露したと伝えられています。

芭蕉は金沢に住む弟子、小杉一笑に会うのを楽しみにしていましたが、芭蕉が来た時には小杉は他界していました。芭蕉は嘆き悲しみ「つかもうごけ我泣声は秋の風」(野町願念寺)の句を詠みました。

田井菅原神社には芭蕉の「風流のはじめや奥の田うへ唄」の句碑があります。
田井菅原神社田邊家は加賀藩十村役(庄屋)の家柄で、藩政時代の農業著書「作方覚書帳」は田邊次郎吉の著書です。
田邊家では、江戸時代に12代藩主前田斉広公に鏡餅を献上した事に由来し、年末に紅白鏡餅50個を神殿に飾ります。

田井菅原神社田邊家
田井菅原神社
左「紅白の鏡餅50個の田井菅原神社神殿」、右「『風流のはじめや奥の田うへ唄』の句碑と田邊宮司」 びゅうハイヤー金沢観光タクシー撮影 

金沢ゆかりの文学碑 松尾芭蕉 成学寺(野町1−1−18)宝暦5(1755)年建立。現在残されているものでは、この碑が最も古い。「あかあかと日はつれなくも秋の風」と刻。 野蛟神社(神谷内町ヘ1)宝暦13(1763)年建立。「うらやましうき世の北の山ざくら」と刻。
宝泉寺(子来町57)貞享2(1685)年、の由来書によれば、慶長6(1601)年の、時の藩主前田利長により寺地を寄進され、摩利支天本尊をここに移し、当時その守護役「別当」として奉仕してきたことに始まる。「柳陰軒 ちる柳あるじも我も鐘をきく 芭蕉」と刻まれている。 本長寺(野町1−2‐8)大正4(1915)年建立。昭和57(1982)年改修。「春もやゝけしき調う月と梅 芭蕉」と刻。 願念時(野町1‐3−82)昭和42(1967)年建立。「つかもうごけ我泣声は秋の風」と刻まれている。

金沢食文化

金沢の食文化は長い年月をかけて受け継がれ、京風とも江戸風とも違う気品のある独特の食文化です。

金沢冬の加賀料理と言えば「かぶらずし」があります。これは早寿司とちがい、冬の日本海の王者、鰤の切り身と大きなカブラの輪切りをそれぞれ塩漬けにし、鰤をカブラにはさんでニンジンも加え、たっぷりの麹で漬けこみ、食する、なれ寿司です。寿司と言うよりは漬物と言った方が分かり易い加賀料理です。

一般家庭ではこの時期、大根ずし作りも盛んです。 加賀野菜にも認定されている源助大根を使い、鰤の代わりに鰊や鯖を使い麹で漬けこみます。
各家庭で微妙に漬け方や材料が変わり、母から娘へ、姑から 嫁へと受け継がれる金沢の冬の味覚です。


加賀料理

● 鯛の唐蒸し

婚礼に欠かせない料理で、背開きした鯛に、ニンジン、ゴボウ、キクラゲ、ギンナン等を加えて調理したおからを詰めて蒸した料理。二匹を九谷焼の大皿に腹合わせで盛り付けるのが習わし。

● じぶ煮

小麦粉をまぶした鶏肉をすだれ麩や椎茸などと炊き、ほうれん草の湯がいたものを付け合わせ、わさびを添える。 煮汁はとろみがあり、加賀料理の代表格。

● べろべろ

寒天を水にひたして火にかけながら溶かし、醤油や砂糖で味付けした所に溶きほぐした卵を流しいれ、四角い型で固めてから食べやすい大きさに切って盛り付ける。正月や祭り等の祝い料理で、一般家庭でもよく作られます。

● ドジョウの蒲焼

開いたドジョウを骨付きのまま竹串にさし、タレを付けて焼いた料理。夏場の食欲のない時期でもカリッと香ばしく焼いたドジョウの蒲焼なら食が進みます。
かつては市内に何軒もあったドジョウの蒲焼屋も、手間もかかる為、今では数件になってしまいました。それでも金沢市民の台所、近江町市場へ行けば何時でも入手する事が出来ます。
ちなみにドジョウの蒲焼は、明治初期、長崎から卯辰山に収容されてきた当時禁教だったキリスト教徒が川で採ったドジョウを売り歩いたと言われています。

じぶ煮 ドジョウの蒲焼
じぶ煮 ドジョウの蒲焼

金沢グルメ

● 金沢カレー


城下町金沢とカレーは不思議に思いますが歴史は古くカレー専門店が多く有り、銀のステンレスのお皿に付け合せにキャベツの千切りが付いているのが金沢カレー。大きな先割れスプーンで頂きます。濃厚ソースにお好みでカツやコロッケ、ウインナ等をトッピングする事が出来ます。

● 金沢おでん


金沢では老舗のおでん屋さんが何件もあります。おでんと言えば大根が定番ですが加賀野菜の源助大根はおでんにぴったり!
金沢ならではの食材には車麩、バイ貝、蟹面、等があり、寒くなると各家庭でも食材を求め金沢市民の台所、近江町市場へ出向きます。蟹面とはズワイガニの雌の香箱蟹の内子、外子、足の身を全て甲羅に詰めたおでん種の中でも最高に贅沢な一品。

● ハントンライス


古くは洋食専門店のまかない料理として生まれたと言われていますがケチャップで味付けしたバターライスにうす焼き玉子をかぶせ、まぐろや白身魚のフライをのせタルタルソースをかけたボリュームたっぷりの一皿で近年ではこれを食べに訪れる観光客も多いとか。

金沢家庭料理

● 香箱蟹
近江町市場での香箱蟹販売の様子 香箱蟹

北陸の冬は長く、寒くて厳しい日が続きますが、この時期ならではの海の恵みの美味しい食材も沢山あります。

カニと言えば県外の方は大きいズワイガニを皆さん思いうかべるかと思いますが、もちろんズワイガニも美味しいのですが、地元では香箱蟹の方が食べる機会が多いです。
ズワイガニは値段も高価でハレの日(お祝い、記念日等)くらいでなければ普段の夕食の食卓に上がる機会は少ないからです。香箱蟹ならお手頃な時には3杯1,000円くらいで魚屋さんに並ぶので普段の夕食材料としても重宝します。
赤く濃厚な内子とつぶつぶの食感の外子、足の身といろんな味が楽しめます。
又、全部をご飯にのせて丼にして食べるのもお勧めです。

11月7日の解禁日に合わせて香箱蟹をお目当てに毎年北陸を訪れるお客様もいます。

● 金沢食文化・大根寿しの作り方


かぶらに比べて大根は手軽に入手出来、加賀料理と言うより金沢の家庭の冬のお漬物です。

まず大根を適当な拍子木の形に切り、大根に対し3パーセントの塩で3日程度下漬けします。

この間にニシンの準備にかかります。
ニシンは米のとぎ汁に2日くらい漬けて油抜きしておき、たわしで洗いながら綺麗に表面のうろこをとり3センチくらいの長さに切っておきます。

下漬けが出来たら麹の準備にかかります。
麹を65度位のお湯で軟らかくなる様に混ぜます。昔はこれを「かめ」等の溶器に入れ毛布等で包んで一晩こたつで醗酵させるのが一般的でしたが、現在は炊飯器に入れて2時間程度保温においたら電気を切り、そのまま醗酵を待ちます。この時、長時間保温をすると失敗しますのでご注意下さい。
麹作りも各家庭でご飯を少し混ぜる家庭やお酒を少し入れる家庭等それぞれの家庭で工夫されています。

麹が冷め、甘酒が出来たら本漬けにかかります。
下漬けした大根をザルに上げ、水気を切ったら樽に一段大根を入れ、ニシンを上にのせ甘酒をかぶせ、又大根、ニシン、甘酒の順で何段か繰り返します。
お好みで彩りに人参を散らせたり、風味づけに柚子を入れたり、鷹の爪を入れる家庭もあります。
軽く重しをして、1週間から10日程たてば食べる事が出来ます。

近年の温暖化や暖房の影響で、温度管理が悪いと早く酸味が出てしまいますので、ある程度漬ったら、冷蔵庫で氷温熟成がお勧めです。
お正月に間に合うように逆算して準備にかかり、この時期の金沢の家庭ではおせち料理と共に欠かせません。

● 茄子と素麺の煮物


茄子は上のへたの部分を落とし、下に十文字に切り目を入れ、ひとつまみの塩を入れ、ゆでます。紫色になったゆで汁を捨てたら、少し多めの出汁に醤油、みりんを入れて煮含めます。
素麺は別に茹でておき、食ベる時、煮ておいた茄子と素麺を盛りつけます。
盛り付けて時間をおくと素麺が煮汁をすって汁けがなくなるので食べる直前に盛り付けるのがお勧めです。

茄子を油で揚げて、煮たものをオランダ煮と言う節もありますが、金沢では油を使わないで煮たものが一般的なオランダ煮です。オランダ煮を多く作った時、目先を変えて食べる工夫から生まれた料理かも知れません。

昔ながらのなつかしい味として、デパート地下食品売り場でも老舗料亭の茄子と素麺の煮物が販売されています。

● えびす(べろべろ)


金沢でお正月やお祭りによく作られるお惣菜というよりお菓子に近い料理です。所により「恵比寿」と言ったり「べろべろ」と言ったりして昔からよく家庭で作られています。

棒寒天は水に戻して細かくちぎり1本に対して500CCのだし汁を用意して鍋に入れ火にかけます。木べらで混ぜながら寒天を溶かし、醤油、砂糖でお好みに味付けます。沸騰したら玉子2個を溶きほぐし、鍋の中に流し入れます。

この時、糸を垂らすように細く玉子液を流し表面に浮かせます。
粗熱をとったらバット等の溶器に移して冷やし固め、固まったら食べやすい大きさに切り盛り付けます。
お好みで生姜の絞り汁を入れる家庭や醤油を使わず、塩と砂糖で綺麗な色に仕上げる家庭等、各家庭で微妙に違います。
一般的には醤油で味付けたべっ甲色のえびすが多いようです。

子供の頃、春祭りや秋祭りの日、学校から帰ると、どこの家でも押しずしとえびすが用意されており、金沢のお祭りには欠かせない料理です。


金沢観光 菓子文化

金沢和菓子の歴史は加賀3代藩主前田利常が考案し茶人小堀遠州が命名したとされる日本三名菓から人々の暮らしや文化と共に根付いて今日に至っており老舗和菓子店が多い事でもうなずけます。
又、近年ではパティシエのワールドカップ「クープ・ド・モンド・トゥ・パティスリー」に優勝して世界で活躍の辻口博啓氏のカフェが石川県立美術館に開設され観光の合間のティータイムにもお勧めです。
辻口氏は地元、七尾市の和菓子店長男として生まれました。小学生の時初めて食べたショートケーキに感激して洋菓子職人に憧れパティシエになりました。
金沢菓子文化は和菓子から洋菓子まで伝統と高度の技術で受け継がれています。

● 五色生菓子

結婚、出産など、金沢でのお祝い事で配られる生菓子。五色の生菓子がそれぞれ日、月、山、海、里を表し、お祝い事には欠かせません。又、祝い事のある家の玄関先には黒塗のせいろと呼ばれる箱が積まれます。

● 氷室まんじゅう

江戸時代に加賀藩から徳川将軍家へ、氷室に貯蔵しておいた雪氷を献上した日にちなみ、毎年7月1日にこの氷室まんじゅうを食すると無病息災と言われています。 老舗の和菓子店から町の和菓子屋さんまでこぞって7月1日に販売します。
娘の嫁ぎ先へ配る風習は今でも盛んです。

● 福梅

金沢のお正月には欠かせません。前田家の紋、剣梅鉢の形に似せた形で、表面には砂糖がまぶしてあります。最近では茶事等にも使用され、県外からの注文も増えています。

● 金花糖

加賀藩十三代藩主前田斉泰への献上品として作られた菓子で、鯛や竹の子、桃の形の木型に砂糖を流しいれ、色つけしたものです。桃の節句に、ひな人形と一緒に飾ります。

● 福徳

正月の縁起菓子で、暮れから松の内だけ売り出されます。俵や打ち出の子槌、巾着の形をした煎餅で、中には様々な形の土人形や金花糖が入っており、中身の分からない期待感や人形を集める楽しみがあるお菓子です。



金沢の風習

ころころ団子


ころころ団子、ころころ餅と言い金沢では出産の一月前、又は出産月の戌の日に、ころころと安産で生まれるようにと白い楕円形のお餅を親戚や親しい友人に配る風習があります。箱に入れて配る数はころころにちなみ5+6で11個です。配られたお餅は赤ちゃんに見立てられるので火傷をさせないようにと焼いて食べてはいけません。生で軟らかいうちにそのまま食べるか煮て食べるのが習わしです。

金沢の鏡餅


白色のお餅を2段重ねるのが一般的な鏡餅ですが、金沢では紅白の鏡餅を飾る事が主流となっています。現在は食紅で色をつけていますが江戸時代に加賀藩で赤米を栽培していたこともあり、加賀藩の藩主「前田家」では代々正月に紅白の鏡餅をお供えしていたのが、金沢で暮らす町人にも広まったそうです。重ね方は前田家や武家屋敷では赤が下、白が上でしたが庶民には畏れ多いと言う事で白が下、赤が上の現在の重ね方になったようです。飾ったお鏡は鏡開き時、ぜんざい等にして頂きますが包丁で切る事は縁を切ると言う事で忌み嫌い手や木づち等で砕いて食べる習わしです。

いとこ煮


真宗王国北陸では親鸞聖人の命日11月27日の前7日間報恩講が営まれますがその際に大根、人参、里芋、牛蒡等の根菜と親鸞聖人の好物と言われている小豆を炊いた精進料理が振る舞われます。それが北陸のいとこ煮です。
でも一般家庭では冬至に無病息災を願いかぼちゃと小豆の煮もの、いとこ煮を食べる事が多いようです。

金沢観光・旬の話題

[その1] 果物の宝石ルビーロマン
果物の宝石ルビーロマン

ルビーロマンは、石川県農業総合研究センターが14年の歳月を費やし育成した 「ぶどう」です。
ルビーロマンの特徴は国内最大級の粒の大きさで、糖度は約20度あり、甘くて果汁が豊富な夢の「ぶどう」です。
私のルビーロマンとの出会いは、毎年金沢へ来てタクシー観光して下さる福岡県のお客様が、今年のお盆、小松空港到着ロビーでお会いして直ぐに「金沢近江町市場にルビーロマン売っていますか」と問い掛けて来ました。
お客様の話では、去年、福岡県の老舗デパートの外商が1房3万円でルビーロマンを勧めに来たそうです。購入し、食べたところ、余りにも美味しいのでデパートに翌日、再度注文したら売り切れだったそうです。
お客様は「色々な高級ブドウを食したが、ルビーロマンが一番美味しい」と言いきりました。
ルビーロマンは平成20年に初めて市場に出され、旬は8月20日頃から9月20日頃です。旬の頃、普通の大きさで約1万円位です。大きさは巨峰の約2倍、紅色です。

果物の宝石ルビーロマンお客様は幾つか地方発送していましたが、私も思い切って1房買って自宅で食べました。家内と私は思わず「美味い!」。なによりも大粒で種が無く、酸味の少ない甘いブドウです。
1房700グラム以上はプレミアムと言い、平成20年以降8房しか認定されておらず、今年初めて収穫されたプレミアム1房が金沢中央卸売市場にて10万円で落札されました。
又ひとつ、金沢が全国に誇れる食べ物が出来て嬉しい限りです。

2010/9月

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